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個人特集

神奈川県川崎市 池原 良則 さん

思い出の浅田

  • 池原さんの住む浅田4丁目は川崎市の南の端で、産業道路や首都高速横羽線が走っています。

    お父様は潮田の生まれで、お母様が小田地区の生まれとのことで、「この潮田・小田はともに古い地名で、江戸時代の地図にはすでに載っています。せっかくですので、軽くちょっと昔の浅田を紹介しましょう」と楽しげに笑ってくれました。

  • 「親父から聞いたんですが、昭和に入ると、鶴見から産業道路を通って川崎大師まで路面電車が走っていたそうです。でも短い期間だけで廃止になったらしく残念ですね。また母に聞いた話では、戦争中に軍の施設が小田公園にあって、大砲のような物があったと言っていました。戦後には米軍がブルドーザーを持ってきて、瓦礫を平らにして資材置き場にしたとも言っていました」

    そう懐かしそうに語る池原さん。たまに目を瞑って考え込むのは、ご両親から話を聞いていた過去を思い返しているのでしょうか。

  • 「私は昭和30年代の生まれなのですが、戦後の面影はなく、産業道路や首都高速が建設されました。朝・昼・夕と、工場のサイレンが大きく鳴り響いていたことが、とても懐かしいです。夕方には必ず母親に連れられ、小田銀座商店街へ晩ご飯の準備に行きました。とても賑やかな商店街で、ここで買うトンカツやコロッケが楽しみでした。あの賑わいがそのまま続いてくれればと思っています。

    子どものころの町のことを話しますと、浅田本通り商店街、小田銀座まで出ると夕方は本当にすごい人でした。毎日ですよ。なんでも揃いましたね。商店街でスタンプを配り、福引もできる出店もたくさん。大学いも、納豆、金魚、唐がらし、ガス風船なんかも毎日出ていました。あのころ、私たちは夢中で遊んでいましたね」

  • 昔を振り返り楽しそうにしている池原さんの話を聞いていると、過去の浅田にタイムスリップをした感じになりました。

    ご両親を愛し、地元を愛する池原さん。これからも浅田で元気に笑っていることを期待しています。

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