足跡を振り返る
お久しぶりです。Kenchanです。
この挨拶も何回目になるのかと、最近は自分の歩きを振り返ることがよくあります。
その理由の一つとしてあげられるのが、業務内容の変化です。
ありがたいことに句集や画集などのいわゆる自費出版をしたいという方々からお声がけいただき、老人クラブ以外の方とお仕事をさせてもらう機会も増えてきました。
その方達とお話しさせてもらう機会も多く、その話からいろいろと考えさせられることが多いのが、最近の私です。
その方達は自分の歩いてきた「何かを残したい」という気持ちを強く持っています。それは句集であったり、自分史であったり、写真集であったりと人それぞれです。
その人たちと話すと、なんで自分がこれを作ろうと思ったのか、なんで始めたのか。とても楽しそうに話していただけるのです。
それを聞いていると、自分がこの人たちと同じ年代になったとき、自分が歩いてきた証のようなものを何か残せるのかなと思えてきます。
もちろん楽しかった話ばかりではなく、当時の辛い経験などもお聞かせいただいています。
とある方からは、身体に障がいがあり辛いことも多くあったけど、声をかけられてやり始めた色鉛筆画に救われたと伺いました。
ご家族に不幸があったとき、文字にすることで乗り越えることができたという方もいました。
気持ちを整理するのにも一役買っていたこの趣味はこの方達にとっては、切ることのできないもう一人の自分のようなものなのかもしれません。
だからこそ、「自分を残したい」「自分を知ってもらいたい」という気持ちが込められているような気がします。
私たちの掲げる経営理念の基本概念のひとつに、「チャンスや機会が無い人々に活躍の場と機会を提供する」というものがあります。
このような方々の気持ちを汲み取り、難しいと思っていたことをサポートしてあげることも、チャンスを与え、機会を提供することにつながるのではないでしょうか。
独りよがりな考えでは押し付けになります。
そうではなく、きちんと寄り添い話を聞いて、必要と思われるものを提供することが重要になると感じます。
最初の話に戻りますが、ここまで歩いてきた道を振り返ると、自分自身が何かを残したいという思いを持っていなかったことに気が付きます。それは自己満足で終わり、自分の中で完結していたからです。
自分一人で完結するような意識では、相手に提供という行為ができません。
それは相手に寄り添おうという意識がないからこそ、自分で正しいと思うものを渡すだけになり、相手が欲しいと思うものを渡せないからです。
最近、自分の足跡を振り返ると、当時は気にしていなかった自分が独善的な人間であったということに気がつきます。
いろんな人からの思いに触れることにできる仕事。そして気持ちを形に残すことのできる仕事。
いま、私はとても意義のある仕事についていると感じます。
これらの仕事を過不足なく、お客様の手元に届けられるよう、独善的な心や考えをなくし、日々過ごそうと感じている今日この頃です。
一度、皆さんも自分の足跡を振り返ると、新たな発見があるかもしれませんよ。
Kenchanでした。