時間の節目を記すこと
こんにちは、むぅです。
はじめての方ははじめまして、その他の方はお久しぶりです。
あっという間に順番が回ってきて月日の流れの速さを感じています。毎年記録更新している日中の暑さ、今回は梅雨の短さにも影響して過去最速とも言える梅雨明けを迎えましたね。蝉がようやく鳴き始めて、夏らしくなったなとどこかほっとしているところです。
さて、恒例になりつつある私とおじいちゃん・おばあちゃんシリーズ、今回は『歴史』です。
広報紙の記事や取材時など、ご高齢の皆さんとお話ししたり、見聞きする機会は多々ありますが、ジェネレーションギャップも大きくなれば多文化交流のひとつのようになってきます。
そのような中でも少し特殊だと感じるのが『歴史』についてです。
古代や中世というような大きな歴史の流れを掴むと、私とお話しくださる皆さんの目線は近く、一方で「戦時中あの時こうだった」と、私にとっては書籍の中のできごとを実体験として語ってくれることもあります。その時の言葉や内容は大衆向けの教科書などでは滅多に聞くことができない『ひとりひとりの生きた記憶』であり、『大きな流れの中では見えなくなる確かな記録』であり、なにより『目の前のひとの思い出』であり。そう思うと、とても貴重なお話を聞かせていただいているのだといつも大変感慨深いものを感じます。そのような個々の記録を広報紙に寄せてくださることが大変嬉しく、同時に、その記録をそのひとが生きた証として残せることがとても誇らしく、この仕事の意義深い点だと感じています。
今年は終戦80年目で、もうこれが最後の節目かもしれないから、という声を度々耳にします。
夏になると思い出される過去を、体験者として語られるのは自分たちしかいない。戦争体験に限らず、自分の中にある何かしらを語り残したい。その願いの一助になれるよう、私も日々広報紙作りに励んでいきたいと思います。
そして同時に、老いた時になにかを語って残せるような素敵なシニアになりたいと思うのでした。