特別な瞬間の先
こんにちは。むかしめがねです。
先日山梨県藤田町の桜まつりが中止に追い込まれたというニュースを見ました。原因は増えすぎた観光客だそうです。
富士山と五重塔を望む景色をバックに写メを撮ろうとする人が、展望台などの危険スポットでの行き過ぎた行為に留まらず、地域で平穏に暮らしておられる方の家の庭先まで入り込んだり、ゴミもあちらこちらにポイ捨てされたりして、地域の問題になっての中止だそうです。
近年よく耳にする感じのニュースですが、ふと思ったのです。
観光客にとっては特別な瞬間でしょうが、そこで暮らしている方達にとっては日常の延長に過ぎません。
私どもがお世話になっている老人クラブの皆様との関係に置き換えれば、老人クラブの方達にとってその活動は生活の延長線上にあり、その活動を会報誌として形作る仕事を私たちはしていますが、私は時々勘違いしてしまってはいないかと思ったのです。
イキイキと活動される方達を何かの形にできるのは私たちにとって特別な瞬間の一つではありますが、私たちがすべきなのは、老人会の方達が日常的にされている事、日常の延長線上にあることをを、紙面を通して特別なものにする事であって、取材で老人クラブの方に会えることだけを特別なものにしてはいけないと思ったのです。
老人会の方達とお会いしたりお話ししたりするのは楽しく特別な時だと思わせていただけることが多いのですが(時々お会いするのがプレッシャーな方もおられますが)、そのことに甘えて本末転倒になってはいないか。私にとっての特別な瞬間の先にあるべきは何なのか。
山梨県のニュースはそんな事を思わせるニュースでした。

